地域に根ざす文化として

更新日:2018年10月07日

現在ではJリーグチームのホームタウンであったり、2002FIFAワールドカップ日韓大会キャンプ地であったり、新しい「サッカーのまち」が日本各地に存在するようになった。だが、藤枝というまちのサッカーへの思いは、ひと味もふた味も異なる。藤枝の人はサッカーに対し驚くほど冷静である。Jリーグが始まったからといって大騒ぎしなくても、何十年も前からあまりにもサッカーが日常化していたため、意識してサッカーを考える必要がなかったのである。そのためにJリーグ以降のサッカーに乗り遅れた感は否めない。

しかし、改めて藤枝のサッカーの歴史を振り返ってみよう。大正の終わり頃、新設された中学校の初代校長がほとんど誰も知らなかった蹴球という競技を行わせた。新設校に蹴球を取り入れたのも学校としての売名行為ではない。初代校長の信念から生徒全員に取り組ませただけである。その学校を卒業した人たちは純粋にサッカーを愛し、リーダーとしてこの地にサッカーを定着させ、さらに多くの人の協力を得てまちをあげてサッカーを育て上げた。文化として、歴史の一部として当たり前のように存在するのが藤枝のサッカーである。経済効果とか、まちおこしとか、そういうことを超越したところに藤枝のサッカーがある。だからこそサッカーが
定着したはずである。

現在では他地域からの転入者も増え、藤枝サッカーの歩みを知らない若年層も多くなっている。その人たちに是非、伝えたい。藤枝が「サッカーのまち」と呼ばれるのは、単に高校サッカーの強豪チームがあるからではない。サッカーはまちをあげて育て上げてきた文化であり、歴史であり、まちの誇り、そして夢であると。

総合運動公園サッカー場