日本 ワールドカップ初出場 中山雅史、名波 浩

更新日:2018年10月08日

Jリーグができプロ選手が活躍することで、ワールドカップに向ける人々の目も変わって来た。以前の日本人にとってワールドカップは見るもので、出場するものという感覚ではなかったが、ヨーロッパや南米のようにプロ選手が挑戦することで、ワールドカップ出場は夢から現実的なものになってくる。平成6年(1994)のアメリカ大会出場は叶わなかったものの、平成10年(1998)のフランス大会には初出場を果たす。この大会には、エースナンバー10を背負い司令塔として名波 浩が、また、中山雅史が日本人初ゴールを決めるなど活躍した。中山は次の日韓大会でも活躍。

名波はフランス大会出場の功績から、第1号となる藤枝市スポーツ栄誉顕彰を受賞(中山は旧岡部町出身のため、当時は該当せず)。名波の活躍を契機に設けられた顕彰は、翌年第10回ワールドユース選手権大会での準優勝に貢献した石川竜也が受賞。以後、様々な種目で5名の個人と1つの団体が受賞している。

【写真:藤枝市スポーツ栄誉顕彰受賞する石川竜也(平成11年)】

藤枝市スポーツ栄誉顕彰受賞
平成10年
7月25日
名波 浩 FIFAワールドカップ98フランス大会 出場
平成11年
5月16日
石川 竜也 FIFAワールドユース選手権大会 準優勝
平成16年
11月3日
佐藤 由希 2004アテネオリンピック 銅メダル(ソフトボール)
平成16年
11月3日
山内美津希 2004アテネパラリンピック 5位入賞(水泳)
平成20年
4月26日
藤枝東高
サッカー部
第86回全国高校サッカー選手権大会 準優勝他
平成21年
3月3日
加賀谷千保 2008 世界ジュニア柔道選手権大会 優勝他
平成22年
4月5日
福島 忍 2010 バンクーバーパラリンピック 銀メダル
(アイススレッジホッケー)
平成22年
7月9日
長谷部 誠 2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会 出場 ベスト16

 

さらに2002年の日韓共催大会開催が決まると、全国で多くの自治体が出場チームのキャンプ地に名乗りをあげた。経済効果、まちおこしなどを掲げ、今までサッカーとは無縁であったところまでが誘致に動き出した。当初藤枝の動きは決して速いものではなかったが、大正13年からの歴史をもち、多くの大会を開催し優秀な人材を輩出してきた藤枝にとっては、サッカーのまちのプライドをかけても成し遂げたい誘致であった。当初は南米のコロンビアと接触交渉を続けた。招致イベントが藤枝市民グラウンドで行われ、タモリが司会を行い、ゲストとして藤枝市出身でJリーグで活躍していた向島 建らとともに、三浦泰年、三浦知良などが参加。しかし、コロンビアは南米予選敗退。不測の事態に紆余曲折はあったが、その思いは叶い、西アフリカのセネガル共和国がキャンプを行うこととなった。

 

【写真:日韓ワールドカップ事前キャンプで練習試合に臨むセネガル代表(平成14年)】

 

平成14年(2002)、藤枝総合運動公園サッカー場が完成し、セネガル共和国の代表チームは5月、事前キャンプを行った。サッカー場のこけら落としとして柏レイソルとの試合が行われた。セネガルは藤枝キャンプでコンディションを整え、決勝トーナメントに進出してベスト8と健闘した。キャンプ誘致をきっかけにセネガルカップが始まったほか、文化面での交流も行われるようになり、藤枝市民にとってセネガルは身近な存在になっている。

また、平成18年には静岡世界少年サッカーに参加したアルゼンチンのボカジュニアーズを受け入れ、地元チームとの交流試合や、文化体験などを実施した。ほかにも、サッカーを通して交流都市のペンリス市(オーストラリア)、楊ヤンジュ州市(韓国)、石川県白山市、埼玉県深谷市、岐阜県恵那市などとの交流も行われている。