日本 ワールドカップ初出場 中山雅史、名波 浩

Jリーグができプロ選手が活躍することで、ワールドカップに向ける人々の目も変わって来た。以前の日本人にとってワールドカップは見るもので、出場するものという感覚ではなかったが、ヨーロッパや南米のようにプロ選手が挑戦することで、ワールドカップ出場は夢から現実的なものになってくる。平成6年(1994)のアメリカ大会出場は叶わなかったものの、平成10年(1998)のフランス大会には初出場を果たす。この大会には、エースナンバー10を背負い司令塔として名波 浩が、また、中山雅史が日本人初ゴールを決めるなど活躍した。中山は次の日韓大会でも活躍。
名波はフランス大会出場の功績から、第1号となる藤枝市スポーツ栄誉顕彰を受賞(中山は旧岡部町出身のため、当時は該当せず)。名波の活躍を契機に設けられた顕彰は、翌年第10回ワールドユース選手権大会での準優勝に貢献した石川竜也が受賞。以後、様々な種目で5名の個人と1つの団体が受賞している。
【写真:藤枝市スポーツ栄誉顕彰受賞する石川竜也(平成11年)】
平成10年 7月25日 |
名波 浩 | FIFAワールドカップ98フランス大会 出場 |
平成11年 5月16日 |
石川 竜也 | FIFAワールドユース選手権大会 準優勝 |
平成16年 11月3日 |
佐藤 由希 | 2004アテネオリンピック 銅メダル(ソフトボール) |
平成16年 11月3日 |
山内美津希 | 2004アテネパラリンピック 5位入賞(水泳) |
平成20年 4月26日 |
藤枝東高 サッカー部 |
第86回全国高校サッカー選手権大会 準優勝他 |
平成21年 3月3日 |
加賀谷千保 | 2008 世界ジュニア柔道選手権大会 優勝他 |
平成22年 4月5日 |
福島 忍 | 2010 バンクーバーパラリンピック 銀メダル (アイススレッジホッケー) |
平成22年 7月9日 |
長谷部 誠 | 2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会 出場 ベスト16 |
さらに2002年の日韓共催大会開催が決まると、全国で多くの自治体が出場チームのキャンプ地に名乗りをあげた。経済効果、まちおこしなどを掲げ、今までサッカーとは無縁であったところまでが誘致に動き出した。当初藤枝の動きは決して速いものではなかったが、大正13年からの歴史をもち、多くの大会を開催し優秀な人材を輩出してきた藤枝にとっては、サッカーのまちのプライドをかけても成し遂げたい誘致であった。当初は南米のコロンビアと接触交渉を続けた。招致イベントが藤枝市民グラウンドで行われ、タモリが司会を行い、ゲストとして藤枝市出身でJリーグで活躍していた向島 建らとともに、三浦泰年、三浦知良などが参加。しかし、コロンビアは南米予選敗退。不測の事態に紆余曲折はあったが、その思いは叶い、西アフリカのセネガル共和国がキャンプを行うこととなった。
【写真:日韓ワールドカップ事前キャンプで練習試合に臨むセネガル代表(平成14年)】
平成14年(2002)、藤枝総合運動公園サッカー場が完成し、セネガル共和国の代表チームは5月、事前キャンプを行った。サッカー場のこけら落としとして柏レイソルとの試合が行われた。セネガルは藤枝キャンプでコンディションを整え、決勝トーナメントに進出してベスト8と健闘した。キャンプ誘致をきっかけにセネガルカップが始まったほか、文化面での交流も行われるようになり、藤枝市民にとってセネガルは身近な存在になっている。
また、平成18年には静岡世界少年サッカーに参加したアルゼンチンのボカジュニアーズを受け入れ、地元チームとの交流試合や、文化体験などを実施した。ほかにも、サッカーを通して交流都市のペンリス市(オーストラリア)、楊ヤンジュ州市(韓国)、石川県白山市、埼玉県深谷市、岐阜県恵那市などとの交流も行われている。
更新日:2018年10月08日