新たな社会人チームの躍進 JSLの舞台へ 藤枝市役所・中央防犯

更新日:2018年10月08日

昭和後期から平成にかけて、社会人も気を吐いた。昭和47年(1972)、元日本代表の渡邉昭夫監督率いる住友ベークライトが、藤枝市初の東海社会人リーグチームとなった。昭和55年には、藤枝市役所が東海リーグ昇格。同年12月には天皇杯本大会出場と、自治体チームとしては五戸町役場(青森)に次ぐ快挙を成し遂げる。昭和61年には2度目の天皇杯本大会出場を果たし、昭和63年には、自治体チームとしては初の日本リーグ2部入りした。昭和34年11月発足したチームは着実に力をつけ、48年地元藤枝市で開催された第3回全国自治体職員大会で初優勝。これまで開催された40回大会すべてに出場し、優勝26回、準優勝8回と群を抜く強さを見せつけ、サッカーのまちを牽引し続けている。

【写真:JFLの試合に臨む藤枝ブルックス(平成6年)】

藤枝の社会人チームといえば、中央防犯を忘れてはならない。昭和57年にスタートしたばかりの当時中西部2部に所属していた中央防犯に、59年、元日本代表の菊川凱夫が監督に就任。就任後、61年には県2部リーグ、63年には東海リーグに昇格。藤枝市役所の日本リーグ加入の2年後となる平成3年には日本リーグ2部入りを果たした。その2年後に1部に昇格し、チーム名も藤枝ブルックスと改めた。藤枝ブルックスは、競技場などの問題を抱え藤枝でのプロ化を断念。福岡市へ移転し、その後、アビスパ福岡としてJリーグ入りを実現させる。ブルックスの移転を機に、藤枝市は福岡市とスポーツ・文化交流都市を締結し、交流を図っている。

【写真:ザ・ブルックス第5号(平成6年)】