ベルリンオリンピックへ

更新日:2018年10月07日

ワールドカップやオリンピックなど、大きな国際大会が近づくと、必ずといってよいほど紹介されるサッカーの試合がある。昭和11年(1936)ベルリンオリンピックの対スウェーデン戦である。強豪スウェーデンに3─2で勝利したこの試合は「ベルリンの奇跡」と賞賛され語り継がれている。

近代オリンピックは明治29年(1896)のアテネ大会に始まる。日本は第5回ストックホルム大会から参加した。第11回ベルリン大会は、ヒトラーを党首としたファシズム政党ナチス政権下、49か国、3980人の選手・役員が参加して空前のスケールで開催された。日本は陸上の田島直人や水泳の寺田 登、前畑秀子らが活躍し、金6、銀4、銅10のメダルを獲得した。サッカーでの参加はこの大会が初めてであった。1回戦スウェーデン戦で勝利したものの、2回戦では優勝国イタリアを相手に善戦空しく0─8で敗退した。

この大会には、志太中第4回卒業の笹野積次(早稲田大)、第5回卒業の松永 行あきら(東京文理科大、現 筑波大)の二選手が参加した。東京・国立競技場内にある秩父宮記念スポーツ博物館に展示されている日本代表のユニフォームは、松永行が着用したものである。その他、静岡県からは加茂 健、加茂正五、堀江 忠(浜松一中出身)、佐野理平(静岡中出身)と、16人の代表のうち、6人が静岡県出身であった。当時の静岡民友新聞では「サッカー六勇士」と称えている。加茂 健、正五の両選手は兄弟である。また、松永 行の弟信夫、碩せきも後に日本代表入りし、松永三兄弟として知られている。

笹野、松永の両選手は、当然のことながら郷土の誇りであった。藤枝町体育協会が応援資金調達のための映画会を開催し、盛大な壮行会が行われた。