小学生もボールを蹴った

更新日:2018年10月07日

野球のユニフォームを着た小学生の手には大きなボール。うしろにはサッカーゴール。

昭和10年(1935)に行われた第2回志太中主催郡下小学校児童聯れんごう合蹴球大会の表彰風景の写真は興味深い。優勝チームの胸には「YAIZU」とある。

志太中初代校長錦織兵三郎の考えに同調した藤枝小学校校長近藤英雄は、子どもたちに蹴球を奨励し、やがて蹴球は志太郡下の小学生に広まっていった。昭和9年(1934)から志太中主催の児童大会が開催されるまでになった。

ユニフォームの規定など無かったのだろう。表彰式の写真には、野球の姿の子どももいれば、普段着の子どももいる。おそらく小学生の蹴球ユニフォーム姿の方が珍しかっただろう。当時は何といっても野球が全盛の時代だった。そんな風潮の中で、志太地域では小学生ですらボールを蹴っていたとは驚きである。残念なことにこの大会は、蹴球のような過激な運動は子どもにはよくないという意見もあって、数年で中止になってしまった。

他県ではどうか。『キックオフの笛が鳴る』(轡田隆史著)によると、大正14年から埼玉蹴球団主催の学童蹴球大会が開催されたとある。

児童の体育について、明治37年に出版された『小學事彙』には小学生の体育遊戯としてまず第一に「フートボール」が紹介されている。競技方法としては、人数は11人を正式にするとしながら、同人数ならもう少し多くても構わないとの記述がある。一方「ベースボール」は、広い場所を要することや危険であるという理由からそれほど奨励していないことが興味深い。

いずれにせよ、昭和30年代に始まった少年団以前でも、ボールを蹴る子どもたちが学校体育の中などで存在したことは確かである。