孤高の作家医師 藤枝静男

更新日:2018年10月08日

藤枝静男(小説家・眼科医)〈1908-1993〉

(写真)藤枝静男

藤枝静男(本名・勝見次郎)は、明治41年(1908)1月1日、志太郡藤枝町市部(現・藤枝市本町)に薬局を営む父勝見鎮吉・母ぬいの次男として生まれ、小学校を卒業するまで藤枝で過ごしました。旧制第八高等学校(現・名古屋大学)時代に生涯の友となる本多秋五や平野謙と出会い、また、白樺派の志賀直哉に出会い終生師弟関係を続けます。その後、千葉医科大学(現・千葉大学)を卒業すると眼科医となりましたが、無類の文学好きで、昭和22年(1947)、39歳の時、処女作「路」を雑誌『近代文學』に発表し小説家への道を歩み始めます。やがて伝統的な私小説の枠を破った確固たる新しい私小説世界を構築し注目されました。
ペンネームの「藤枝」は郷里に、「静男」は八高の親友で夭折した北川静男にちなみ、本多秋五が名づけたといわれています。
作品は「イペリット眼」、「痩我慢の説」、「犬の血」で三度芥川賞候補に挙がったほか、創作集『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、創作集『愛国者たち』で平林たい子賞、『田紳(でんしん)有楽(ゆうらく)』で谷崎潤一郎賞、『悲しいだけ』で野間文芸賞など数々の文学賞に輝きました。
藤枝静男作品の大半は郷里藤枝が舞台になっていて、生家のある大手界隈や菩提寺の岳叟寺(がくそうじ)周辺など、大正や昭和初期の藤枝の町を文章で残しました。

(写真)藤枝静男が八高時代に使用した書棚。引き出しには薬瓶やコルク栓などが入っていた。(文学館蔵)

藤枝静男が八高時代に使用した書棚。引き出しには薬瓶やコルク栓などが入っていた。(文学館蔵)

(写真)藤枝静男の直筆原稿「奈良の夏休み」(文学館蔵)

藤枝静男の直筆原稿「奈良の夏休み」(文学館蔵)

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