狼がくわえてきた子ども

更新日:2018年10月08日

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いまから千年も昔のこと。京都の加茂川の堤に藤原兼輔という貴族が住んでいました。兼輔は、中納言という役に就いたことから、堤中納言とも呼ばれていました。この堤中納言が朝比奈川のほとりに一人で仮り住まいをしていたことがありました。

ある夏の宵のことです。中納言は読書に飽き、川のほとりに散歩に出かけました。田んぼで働いていた農民たちが、川で足を洗ったり、着物を洗ったりしています。

すると、「お父、はやく帰ろう」と、子どもたちが迎えに来ました。

その様子をずっと見ていた中納言は、自分にも子どもがいたら、ああして迎えに来てもらえるのにな、と思うとたまらなく寂しくなってきました。

八幡さまに願掛けをすれば子どもが授かるといううわさを聞いた中納言は、さっそく近くの若宮八幡宮に、二十一日間の祈願をすることにしました。

草木も眠る丑満時(午前二時ころ)、誰にも見つからないように、井戸端で水を何杯もかぶって身体を清めると、白い着物を着て朝比奈川の堤をくだり、小坂を通って、毎夜、八幡宮にお参りをしました。

いよいよ二十一日目の満願の夜になりました。

「ああ、今夜は満願だ。真心を込めて拝もう」

中納言はたいそう丁寧に八幡宮でお祈りをしました。

中納言が小坂まで帰ってきたそのときです。突然、目の前に何かが飛び出してきました。

「あ、狼だ」

と叫んだときには、もう姿が見えません。その場には、狼が口にくわえてきた包みが一つ置かれていました。

「なんだろう」

中納言がのぞいてみると、

「おお、子どもだ」

見れば錦の着物を着た赤子が寝ています。

「これはきっと八幡さまがお授けくださったにちがいない」

抱き上げると、赤ちゃんは大きな目をぱっちり開け、にっこり。中納言はあまりのうれしさに、子守唄を口ずさみながら、家に連れて帰りました。

その後、中納言は赤ちゃんをそれはそれは大事に育てました。その子は病気もせずに、すくすくと大きくなりました。十五歳になり、元服すると、吉泰と名を改めました。吉泰はたいそう武勇がすぐれた人だったそうです。吉泰は岸和田藩(大阪府)の藩主(大名)となった岡部氏の先祖と言われています。また、岡部氏の男の子の肩には、代々、狼の歯形が残っていたといいます。

堤中納言が仮りに住んだところから、その辺りを「仮宿」(かりやど)と呼ぶようになり、子どもを拾ったところは小坂から「子持坂」(こもちざか)と呼ばれるようになったと言われています。

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