富士見の井戸
子持坂の祝融山万松院(しゅくゆうざんばんしょういん)の第五代天桂和尚(てんけいおしょう)は本堂の裏の縁側(えんがわ)に座って今日も大日如来(だいにちにょらい)の仏像をみがいていた。仏像をみがくには縁側のそばの井戸の水を汲みあげて使った。
この仏像は、高さ七寸(約二十一センチメートル)、和尚が祈願のために自分で鋳造(ちゅうぞう)したもので、できもすばらしいものだった。みがきあげている井戸も、深さは二メートルばかりの井戸であるが、日照りの日が続いても今までに水がかれたことのない、玉のようなきれいな水の出る井戸だった。
ある日のこと、念願の日も近づいた頃
「そろそろ、仏教が広まり国が平和で人々が安心して暮らせるようにお祈りしなければ…」とつぶやいた。
静かな眠りについたその翌朝、身をきよめ朝のお経(きょう)のおつとめをすませた後、旅支度(たびじたく)も軽々としてから仏像を背負い、錫杖(しゃくじょう)(僧侶の持つ杖)を手に持って元気よく出発した。
和尚の出発してから数日たったある日、留守番の僧が和尚の身を心配しながら、ふと目を本堂のそばの井戸にやると、井戸の水の面に富士山の姿がありありとうつっていた。しかも、不思議な事だと我を疑い目をこらして見なおすと、今度は大日如来を背負って富士山を登る和尚の姿までうつっていたのである。留守番の僧は思わず座って礼拝をし井戸のふたをしながら和尚の安全を祈って無事に帰ってくるのを待った。
このことをいつしか聞いた里人は
「どうか富士山をおがませて欲しい」
と列をつくりながら頼んだ。しかし留守番の僧は固くこれを断った。かわったことを好むのは人の常、見せないとなるとよけいに見たくなるのが人情である。ある日、留守番の僧がいないのを幸いに、ある一人の婦人がこっそりと井戸に近づき、固くとじたふたをあけてみた。そうすると、富士山の姿がはっきりとあらわれて見えた。しかし富士山はたちまち消えてしまった。そうして二度と見ることができなくなってしまった。
婦人の心ない行いに富士山の姿を見れなくなった里人はとても残念がった。ただ、その語り草が残っている。
万松院にはこの井戸が今もあり、かれることなく静かに水をたたえている。
「岡部のむかし話」(平成10年・旧岡部町教育委員会発行)より転載
更新日:2018年10月08日