藤枝のいわれ


江戸時代に作られた若一王子神社の社伝によると、後三年の役(1083年~1087年) で八幡太郎義家が奥州へ下る時、若一王子神社に立ち寄りました。その時、裏山の古い松の木に藤の蔓が絡まり、藤の花が咲き誇っているのを見て和歌を詠みました。
「松に花、咲く藤枝の、一王子、宮居ゆたかに、いく千代をへん」
これがもとで「ふじえだ」を「藤枝」と書くようになったと伝えられています。
江戸時代に作られた若一王子神社の社伝によると、後三年の役(1083年~1087年) で八幡太郎義家が奥州へ下る時、若一王子神社に立ち寄りました。その時、裏山の古い松の木に藤の蔓が絡まり、藤の花が咲き誇っているのを見て和歌を詠みました。
「松に花、咲く藤枝の、一王子、宮居ゆたかに、いく千代をへん」
これがもとで「ふじえだ」を「藤枝」と書くようになったと伝えられています。
更新日:2018年10月08日