藤八柿


慶長5年(1600年)9月のこと、徳川家康は関ヶ原の戦いに向かう途中、藤枝の洞雲寺で一服しました。その時、五十海村の橋本藤八というお百姓さんが、大きくて見事な柿を家康に差し出しました。家康は、その柿を手にとって、藤八に何という柿かと尋ねました。藤八が「美濃柿です」と答えると、家康はたいそう喜んで、「美濃の大垣(大柿)、すでに我が手にあり」と喜びました。機嫌をよくした家康は藤八に、「この柿を藤八柿と名付けるがよい」と言い残して出陣していったといわれています。

慶長5年(1600年)9月のこと、徳川家康は関ヶ原の戦いに向かう途中、藤枝の洞雲寺で一服しました。その時、五十海村の橋本藤八というお百姓さんが、大きくて見事な柿を家康に差し出しました。家康は、その柿を手にとって、藤八に何という柿かと尋ねました。藤八が「美濃柿です」と答えると、家康はたいそう喜んで、「美濃の大垣(大柿)、すでに我が手にあり」と喜びました。機嫌をよくした家康は藤八に、「この柿を藤八柿と名付けるがよい」と言い残して出陣していったといわれています。
更新日:2018年10月08日