左車のいわれ


建長4年(1252年)、後嵯峨天皇の王子・宗尊親王が鎌倉幕府の第6代将軍に就任することになり、京都から東海道を鎌倉へと旅発ちました。ちょうど藤枝の宿を抜けて水守までやってきたときのこと、親王が乗った車の輪が突然折れてしまいました。親王には車から降りて休息していただき、その間に急いで車輪を取り替えました。折れた左の車輪は大きなイチョウの木の根元へ埋めて左車神社としてまつり、また、親王が休息した場所には休息寺というお寺を建てました。これが左車という町名のいわれです。
休息寺の跡は、現在の成田山別院あたりといわれています。

更新日:2018年10月08日