興教大師の不動尊

更新日:2018年10月08日

(イラスト)興教大師の不動尊1


今から400年前のこと、武田信玄は駿河の国を攻め、鬼岩寺の建物も焼かれてしまいました。お寺には平安時代の高僧・興教大師がつくったという不動明王がまつられていましたが、それもてっきりそのときに焼けてしまったと思われていました。ある夜、郡村の大楠六兵衛という人の夢枕にお不動様が立ち、甲州の大泉寺に避難しているから迎えに来るようにとお告げがありました。翌朝、鬼岩寺にいってこの話をすると、住職も同じ夢を見たというので、さっそく二人は甲州へと旅立ちました。富士川のほとりの茶店で二人が休んでいると、向こうから重そうな荷物を背負ったお坊さんがやって来て二人の隣りに座りました。話をするうちにこのお坊さんが鬼岩寺に行くところだというので、その訳を聞くと、このお坊さんは大泉寺の住職で、夢にお不動様が現れて駿河の鬼岩寺に帰りたいというのでこうして背負って来たのだといいます。さっそく二人とも昨日の夢のお告げのことを話し、そのお不動様をもらい受けて鬼岩寺に帰ってきたのだそうです。  

(イラスト)興教大師の不動尊2
(イラスト)興教大師の不動尊3

この記事に関するお問い合わせ先

郷土博物館・文学館
〒426-0014 静岡県藤枝市若王子500
電話:054-645-1100
ファックス:054-644-8514

メールでのお問い合わせはこちら