玉取伝説と玉取

更新日:2018年10月08日

玉取伝説は海部(あまべ)の伝承によるものが多いが、岡部の玉取は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国征伐(とうごくせいばつ)にまつわる伝説からの地名である。

神代の昔、日本武尊が東国の賊(ぞく)を征伐に出かけた時のこと。二つの玉-一つは水石、もう一つは火石-を持って焼津神社の地に来た。立派な神社を作って信仰を深くした。この玉は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の神体というのである。ところがある年のこと、焼津を含めてこの地方に大津波がおそった。波は荒れ、逆流して入江から岡部の谷にまで入りこんだ。ために焼津神社の神殿はこわれ、神体の玉も共に流れて消えてしまったはずなのに、岡部から更に山深く入った朝比奈川の上流-今でいう玉取の里に流れつき、里人に拾われて、地元の小さな寺に納められた。この寺は玉伝寺と呼ばれた。

その後この寺とは別に、神体であるからというので神社をたて、玉取神社と呼んであがめたてまつった。このことから玉取神社のあるこの部落を玉取と名づけられたという。

一説にはこんな話もある。焼津神社にまつられていた神体の宝玉を、何かの理由でどこかへ秘かにかくさなければならなくなり、岡部の奥の山ふところに移した。後に再び元の位置の焼津神社へもどそうとしたところ、朝比奈の奥の里人はこれをかえそうとしなかった。そのため海辺の人々は『玉を取られた』と言いはり、以後、山の奥の里を「玉取」と呼ぶようになったというのである。

また、二つの石のうちの火石は、草なぎはらう時に草に火をつけた火打石だろうともいわれている。水石は水の霊をしずめる玉として洪水をしずめるために、たびたび氾濫する朝比奈川の上流の水源地にまつって水害を防ごうとしたとも言われる。


「岡部のむかし話」(平成10年・旧岡部町教育委員会発行)より転載

(写真)不思議なことに玉取では玉のような丸い石が採れる。

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