上伝馬の由来

更新日:2018年10月08日

慶長6年(1601年)、徳川家康は東海道に宿を置き、人や荷物を運ぶために馬を配置しました。これが伝馬制といい、その事務を取り扱う場所を問屋場(といやば)といいました。
藤枝宿では現在の藤枝三丁目の橋本食堂のあるところに問屋場が置かれ、その6年後には田中城の大手口にも問屋場が置かれたので、前者を上伝馬、後者を下伝馬といって区別していました。

問屋場

宿場の事務を執り行う場所で、ここには責任者である問屋をはじめとして、その補佐をする年寄、記録係の帳付、人足や馬の手配をする馬差などが詰めていました。藤枝宿の問屋場の様子は当時の浮世絵師・歌川広重が分かりやすく描いています。
浮世絵を見てみましょう。問屋場の建物の中で座っているのが問屋役、床が極端に高いのは、狼藉者がすぐに登ってこれないようにするためです。
 

(イラスト)藤枝宿問屋場の様子

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